かみのやま温泉の歴史

かみのやま温泉の歴史かみのやま温泉の開湯は、長禄2年(1458)といわれている。

肥前の国(現在の佐賀県)の月秀という旅の僧が、一羽の鶴が沼地に湧く湯に脛を浸し、傷を癒している姿を見かけたのがはじまりといわれている。

この開湯伝説にちなみ、かみのやま温泉は別名「鶴脛の湯」と、かつては呼ばれていた。

湯町にある「鶴の休石」は、その鶴が休んだ石と言われており、そこが、かみのやま温泉発祥の地とされている。

湯の源泉地付近には、次第に湯宿集落ができ、湯町と呼ばれるようになった。

江戸時代には、上山城および上山藩が置かれ、寛永元年(1624)に、城下に羽州街道が開かれると、その道沿いに共同湯が開設された。

温泉は上山藩が管理し「下の湯」をはじめ3箇所の共同浴場が開設された。湯治客だけでなく、羽州街道の旅人や住民にも温泉を解放し、城下町はおおいに賑い、奥州三楽卿のひとつなどと称せられるようになった。

大正期に新湯温泉、昭和初期に高松温泉、河崎温泉、葉山温泉が開発され温泉街ができ、一大温泉地として名を馳せている。



TOPPAGE  TOP 
RSS2.0